【新潟県】「“腹の中からの想いを創り出し続けたい」脱都会農家が手がける「無農薬の雪下人参」 | おうちごはんラボ

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【新潟県】「“腹の中からの想いを創り出し続けたい」
脱都会農家が手がける「無農薬の雪下人参」

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「雪下人参」という人参を知っていますか?

 

一般的な人参の旬は秋ですが、雪下人参は春のごく限られた期間に限られた産地で収穫され、人参特有のにおいが少ないとてもおいしい人参です。

 

 

 

新潟県の最南端に位置する津南町は、その雪下人参の発祥の地としても知られています。

 

1980年代、冬の間は3〜4mにもなる豪雪地帯で、秋の収穫を忘れて畑に残された人参を春に掘り起こしたら、とても甘くてみずみずしかったんだそう。そんなことを端緒に、次第にこの土地での栽培方法が確立されてきたといわれます。

 

ときを同じくしてこの津南町は、1973年度から「国営総合農地開発事業」に取り組み、広大な農地を利用し、青年農業者を中心に農業の担い手を育てていました。農業後継者と新規参入者の就農率は新潟県内でも屈指といわれています。

 

今回ご紹介する宮崎朗さんもその一翼を担う存在。今回の取材では、宮崎さんの取り組む無農薬の雪下人参と、そのこだわりを聞きました。

 

 

とことん都会がきらいだった

▲トラクターで土を掘り、手作業で人参を掘り出していく宮崎さん

 

宮崎さんは東京生まれの千葉育ち。都会育ちにもかかわらず、今でもショッピングモールとフードコートが大の苦手。「都会はおもしろみがないし、圧迫感がある。家畜みたいに“飼われている”かのような感覚」をおぼえるといいます。

 

そんな宮崎さんは大学卒業後、都会で働きたくないという思いが高じて、新規就農者受け入れをしていた津南町の存在を知り、Iターン移住。そして文字通り、何もないところから農業を始めました。

 

 

 

自然とたどり着いた無農薬農家への道

宮崎さんの営む農家の屋号は、いま暮らしている土地の通称をそのまま使って「はらんなか」といいます。

 

「はらんなか」が得意とすることは、何といっても無農薬。

 

就農開始当時は“なるべくコンパクトな”農業をしたいと考え、切り花を作っていた宮崎さん。結婚後には自宅の食材として農作物を作るようになり、「どうせ食べるなら無農薬、どうせ作ったなら売らなくては」と、必然的に無農薬農産物の販売へとつながったそうです。

 

▲「(妻から)無農薬のものを食べたい」と言われた朗さんとその妻本人の綾子さん。綾子さん、底抜けに明るい。

 

「僕自身は、最初から特別無農薬にこだわってはいなかったんです」と、宮崎さん。無農薬をすすめたのは、奥さんの綾子さんでした。

 

そんな経緯を話す宮崎さんの表情から、気負わず背負わず、パートナーに支えられながらごくごく自然に無農薬農家への道を切り拓いてきた経緯がつたわってきます。

 

 

「味と香りを追求する」はらんなか流の嗜好回路

▲雪下人参は、鮮やかでみずみずしいフルーツのよう

 

そしてこれが、はらんなかの目玉である雪下人参。雪下人参は、一冬の間雪の下に放置し、雪解けとともに掘り起こします。

 

本来旬である秋には味の濃い人参ですが、雪下で育まれたそれはみずみずしくてさっぱり。まるで果物のようなフルーティな味わい。

 

「言葉や見ためでだまされることなく、味覚嗅覚を働かせて食べるにふさわしい食材を作っていきたい」という宮崎さんの思いをしっかりと体現してくれる一つが、まさに雪下人参です。

 

除草剤、殺菌剤、殺虫剤を使わずないのはもちろんのこと、肥料についても米ぬか、おから、魚かすなど、身体に入っても問題のないものにこだわり抜いて作っています。

 

雪下人参のほかにも、はらんなかでは、大豆とさつまいもをはじめ、加工品としていずれも無農薬農産物で作る豆腐、さつまいもチップス、きな粉、打ち豆、にんじんジュースを手がけています。最近は、自家製パンや大豆ケーキの販売に向けても試行錯誤されているんだそう。

 

 

宮崎さんが考える「農家の個性」とは

はらんなか商品の販売先は、地元にある道の駅のほか、無農薬野菜の共同購入グループなど、根強いファンに継続的に購入されています。「直接“おいしかったよ”と褒めてもらえると、やっぱりうれしいですよ」と農業を続けていてのやりがいを、笑顔で宮崎さんは話してくれました。

 

「大きな資本でできあがるものって、結局市場のニーズに合わせるでしょう。味の個別性ではなくて、合理的にするためにいろいろなものを混ぜ合わせて、一定の量を作り上げちゃうんです。そうなると、個別のちがいがなくなってしまう。それが嫌なんですよね。ワインみたいに『どの畑で、いつできたもの』がしっかりとラベリングされて、大切に扱われるようになったら理想的ですよ、農作物も」

 

量産品と闘うのではなく、あくまでも個性そのものを活かせるよう、価値を価値として評価してもらえるようになってもらいたい――。

 

それは、まるで宮崎さんの生きてきた暮らしが詰め込まれているかのようでした。

 

 

創り出す暮らしの延長線上にある農

「ただお金が欲しいなら、スーパーでレジ打ちしている方がはるかに(肉体的、精神的に)ラクなはずなのにね」と自虐的にいいながら、それでもなんでやるのかと問われれば「たぶん、くやしいからですよ」と答える宮崎さん。

 

自らを切磋琢磨させる様子は畑の芸術家のようでもあり、随所に宮崎さんの生き方のこだわりを垣間見ることができました。

 

今したいことを聞くと、「大豆ケーキを作りたいのと、あと子ども部屋も作りたい」と即答。

 

ご自宅も手作りしてできた宮崎家。どうやら宮崎さんは、「はら(腹)んなか(中)」からの想いを“創り出し続ける”ことを日々実践しているようです。

 

その延長線上に宮崎さん流の農業があって「死ぬまでやるしかないんですよね」と見せてくれた笑顔は、とても爽やかでした。

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