知る人ぞ知る、明治・大正のおうちごはんをプレイバック!

「ざんぎり頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」で馴染みのある、西洋文化が人々の生活に浸透した明治時代、そして個人の解放や新しい時代への理想に満ちた風潮を象徴する「大正ロマン」の大正時代。

「令和」という新時代がスタートしましたが、現代のおうちごはんのルーツは外国食文化の影響を大きく受けた明治・大正時代とも云われます。明治・大正の名の由来を解説するとともに、懐かしのおうちごはんをお届けします♪

「明治」「大正」名の由来は?

古来の日本で元号が変わるタイミングとは、お祝い事以外にも天災・凶作などの災いや珍現象などが理由とされていましたが、明治時代を機に「天皇の即位に合わせて、新元号に変える」と統一されるようになりました。近代・現代に当たる明治と大正の名の由来について、まとめてみました。

■明治の由来は?

1868年1月25日〜1912年7月29日まで、約45年間という時代を築いた明治時代。その名の由来は、古代中国の書物「易経」から引用された「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)ひて治む(聖人が北極星のように顔を南に向けてとどまることを知れば、天下は明るい方向に向かって治る)」の言葉です。

■大正の由来は?

1912年7月30日〜1926年12月24日までの約15年間が大正時代。明治の語源と同様、中国の古書「易経」の言葉より「亨以、天之道也」(大いに亨(とほ)りて以て正しきは、天の道なり)から引用されました。少し難しい言葉ですが、「政を行う人は民衆の意見に耳を傾けること、さすれば政治は正しく行われる」という意味が込められています。

「今」に繋がる「明治」「大正」のおうちごはん

明治・大正時代の家庭では、現代の食卓に欠かせない「テーブル」は存在しません。「箱膳(はこぜん)」と呼ばれる箱型のお膳を自分の前に置いて食べるのが主流でした。

今日ではリビングルームやダイニングキッチンで食事をしますが、明治・大正時代は「おかって(現在での台所)」で食事をする世の中。父親が1番奥の上座に東を向いて座り、子どもたちが北を向いて南側に座り、母親は 下座に座って食事や飲み物を用意したと言われています。当時のご飯は高価な白米の代わりに麦飯を食べることが多く、漬物や味噌汁と一緒に食べられていたのだとか。芋粥や茶粥も明治から食されていたもので、民衆のおうちごはんは倹約を心掛けた家庭が多かったそうです。

外食では牛鍋を筆頭にコロッケやオムライス、とんかつ、ハヤシライスなど洋食が盛り上がったようですが、明治〜大正のおうちごはんはどちらかと言えば質素。時代の流れとともに少しずつ家族の食卓に洋食が定着し、現代のおうちごはんへと変化を遂げてきたと言えるでしょう。

健康志向が高まる現代のおうちごはんでは、明治・大正時代のシンプルな食卓が改めて見直されている傾向があります。知っているようで知らない「おうちごはんの歴史」をぜひ、この機会に学んでみてはいかがでしょうか。

参考:

大正ロマン(ウィキペディア)https://goo.gl/02AcGX

明治(ウィキペディア)https://goo.gl/SQFCoU

大正(ウィキペディア)https://goo.gl/2FeRUa

農林水産省公式サイトhttp://www.maff.go.jp/index.html

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