たった8軒で山梨県道志村のクレソンが出荷量日本トップクラスになったワケ

山梨県南都留郡の道志村は、人口約1,700人の自然あふれる村です。道志村にはかつて「天下の名水・水晶水」と賞賛された水質の道志川が流れており、その美しい清流は多くのキャンパーや家族連れ、釣り人を魅了しています。

そんな道志村の、特産となっている野菜が「クレソン」です。

クレソンは、水中や湿地に生育するアブラナ科の多年草で和名を「オランダガラシ」。学名は「Nasturtium Officinale」といいます。Officinaleは、中世ラテン語で薬草という意味がありますが、その名の通りクレソンはカリウム、ビタミンA、カルシウム、鉄といった17種類もの成分を豊富に含む、非常に栄養分の高い野菜なのです。

クレソン栽培には欠かせないきれい水に恵まれていることから、2014年にクレソンの収穫量が最も多かったのは山梨県で約403トン。その多くは道志村で生産されていたそう。

ところが道志村でクレソンを出荷していたのは、10軒にも満たない農家だったというから驚きです。そこで「道志村クレソン栽培組合」を訪ね、出荷量が日本トップクラスになった秘訣について聞きました。

『クレソン栽培を40年。「トップになるのは目標にしていなかった」』

「道志村クレソン栽培組合」組合長の佐藤美知子さんは道志村の出身。かれこれ40年クレソンの栽培に取り組まれています。

もともと道志村には田んぼの畔にクレソンが自生していましたが、地元の方は「ドカタゼリ」と呼び、食品とは捉えていなかったんだとか。美知子さんのお父さまが本職であった鉄鋼業を辞めたタイミングで、農林水産省から「クレソンを作ってみない?」と勧められました。

また、当時は減反政策により休耕田があったことから、1980年に道志村で本格的なクレソン栽培が始まりました。佐藤さん一家は組合長としてクレソン栽培農家を増やすため、新規参入する人の生活を保障しつつ、苦楽を共にされてきたといいます。

道志村のクレソン出荷量が日本トップクラスになった秘訣について、佐藤さんは「トップになるのは目標にしていなかったね。ただ、がむしゃらにやっていただけ」と話します。

「水分が多い茎はジュース用に出荷。出荷用に余分な葉を落とし、整えたクレソンは市場に。落とした葉は粉末にしてせんべいやチョコレートに練り込んだり、クレソンの花が咲いたら何かに使えないか?と、ひたすら考えたりしたから出荷量が増えたんじゃないかな」

あっけらかんと笑う佐藤さんですが、「道志村クレソン栽培組合」の事務所には数々の賞状が飾られ、どれも組合のたゆまぬ努力を称えるものばかりです。

さらにくわしい秘訣を聞くと、「販路の開拓と、水田の発掘かねぇ」と、佐藤さん。なんでもクレソン栽培には、きれいな水が一年中流れている所で、一定の水温を保つのが大事なんだそう。しかし、谷合いにある道志村は、冬は冷え込み、水田が凍結してしまいます。

折しもクレソン需要が高まる中、冬でも出荷できるよう工夫する必要がありました。

そこで佐藤さんが試みたのは、「西伊豆で真冬でも凍らず、水が流れている沢を一本一本探して回る」という策。

冬は比較的あたたかい富士山周辺や西伊豆の水田を借り、夏場は山梨で、と場所を変えて生産します。そうすることで、佐藤さんは、年中クレソンの出荷を実現することができたのだそう。

しかし、それでは出荷のためにあちこちの水田に赴き、収穫する必要があります。「大変ではないですか?」と聞くと、こんなハッとするような言葉が返ってきました。

「みなさんが通勤するのと一緒ですよ。どんな仕事も大変だけど、これで食べていこうと決めたのなら楽しさを見出ださないと。例えば、西伊豆の水田まで行くルートを変えてドライブを楽しむ。今日は帰りにどこの温泉に寄ろうか。サクラエビの季節だから食べて帰ろうか、とかね。仕事だけに忙殺されないのが、長続きのコツなの」

『栄養も食べ方も万能選手!クレソンのおいしい食べ方』

そんなたゆまぬ努力の末、生産を続けてこられたクレソンのおいしい食べ方について、佐藤さんからアドバイスをいただきました。

「クレソンは本当に、遊びがいのある食材ですよ。クレソンそのものを味わいたいなら生でサラダに。火を通せば苦みと辛みが消えるので、子どもも喜んで食べるようになります。刺身に巻いてワサビ代わりにするもよし。こうしなければダメというタブーがない万能食材なんです」

そこで今回は、肉料理の付け合わせが多いクレソンのイメージからは程遠いクレソンケーキのレシピを教わりました。

万能食材の名の通り、火を通したクレソンは独特の辛みが消え、癖がありません。誰にでも食べやすいものへと変身していました。このケーキなら、野菜嫌いでも問題なく食べられそうです。クレソンケーキは、道志村内の「道の駅どうし」で食べることもできます。

『年長者が頭をやわらかくして考え、次世代の担い手を育てたい』

1999年にできた「道の駅どうし」で、クレソンを加工した土産品の取り扱いをはじめたことから、徐々に道志村の特産として知られるようになった「クレソン」。しかし現在、どの農家も次世代の担い手不足に悩んでいます。

佐藤さんに将来の目標について聞くと、「農業を始めたい人を応援することですね。道志村でネット販売や無農薬農法など、自分の農業の理想郷を追い求めたっていい。ただ、その間にも生活費は必要だから、ここでクレソンを作ってくれれば組合で買い上げ、生活の土台を作ってあげたいです」

頼もしく話す佐藤さんは、さらにこう続けます。

「若い人に道志村でクレソンを作ってもらうため、年長者がどうしたらいいか頭をやわらかくして考えなくては。40年のクレソン栽培で培ったアドバイスはするし、生活の土台を作ってあげるから、道志村で伸びていってほしいですね」

そんな佐藤さんの言葉には、クレソン栽培に立ちふさがる困難を乗り越えてきた自信と、これから何があっても柔軟に乗り越えていく意思に満ちあふれていました。

佐藤さんは「ただがむしゃらにやってきただけ」と謙遜されますが、流水の中にしっかり根を張るクレソンのように、柔軟かつ強力なリーダーシップで、これからも一層活躍されることでしょう。

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